波打際の舞台日記

音楽ライブ・演劇を中心に、舞台の感想・意見などを書いています。

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青年団+韓国芸術総合学校+リモージュ国立演劇センター付属演劇学校「その森の奥」こまばアゴラ劇場

(ネタバレあり)

青年団国際交流プロジェクト2019

作・演出:平田オリザ

韓国語翻訳:イ・ホンイ

フランス語翻訳:マチュー・カペル

2019.7.7.(日)マチネ。満席だった。1時間半。

「カガクするココロ」「北限の猿」「森の奥」に続く科学シリーズ。場所をマダガスカルに移し、今度は類人猿の代わりにサルからヒトに進化させようとしているプロジェクトの研究室を舞台にした。

研究室はフランスと韓国の研究者がメインで、ほかに日本の研究者と観光業者がいる。舞台上では耳につけた自動翻訳装置で会話をしているという設定で、客席からは舞台後方の字幕で会話を追うことになる。 

科学シリーズの30年くらいの間に、遺伝子操作の技術はすごく進み、自動翻訳装置も近い現実になった。今の感覚からするとちょっと流暢に通じすぎるが。

 

サルの話をしながら、ヒトを問うのは今までの作品通り。今までより、差異の線引きとは?という問いが明確で、あとでいろいろ考えさせられた。

人間と類人猿、類人猿とサルの違い。人種の差異。どこで線を引くかという差異の線引きは恣意的なものでしかない。サルとヒトはだいぶ違うと思っても、他の人種を展示した19世紀の博覧会の感覚はそんなものだったんじゃないだろうか。

女性的な思考パターンである「許さない」ことが争いを深刻にするという指摘は、戦争は男性的な攻撃性によるものだという思い込みを揺さぶって衝撃だった。なかなか忘れずに反復するのは、過去を伝承して文明を発達させる機能でもあると思うけれど、争いを長期化させて増幅する機能もあるように思う。

女性ではなぜかどの年代にもある「お友達グループ」の内と外の抗争を考えると、たとえ国なんて区分を消し去っても、なにかの差を見付けてグループを作って争うのだろう。それが環境による差でしかなくても偶然によるものであっても。身近な例を思い出して暗澹とした。

ヒトの間での争いが深刻なことを考えると、動物の種類の中で「ヒト」という区分を特別なものとして位置付けているのは、同じというアピールとして重要なんだなあと思った。以上、途中から芝居とは無関係だが、インスピレーションを受けて考えたこと。

 

今回はこまばアゴラ劇場の舞台の作り方がいつもと異なっていて、横に広く舞台が作られている。前の席と段差がない席だと、前の人が舞台にかぶって見づらい。

字幕の字数が多くて速いのもあり、つい字幕に集中してしまうのも、生の舞台としてはちょっと残念な気がする。観客に自動翻訳装置が配れるようになると面白いと思う。

 

日本人の観光業者だけがカリカチュアとして描かれていたのが気になった。あれもリアルに描いても良かったんじゃないだろうか? 海外に慣れたビジネスパーソンはあんな風には振舞わないので、そこだけ浮いて見えた。

 

と文句も書いたが、刺激的な舞台だった。後からあれこれ考えられるのは、舞台の一つの醍醐味だと思うので、問題提起の鮮やかさを味わいたい。

 

過去の科学シリーズの記事です。

namiuchigiwa.hatenablog.com

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