作:秋元松代
演出:長塚圭史
出演:白石加代子、中村ゆり、大石継太ほか
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「常陸坊海尊」を2019.12.19.(木)マチネで観た。というよりほぼ昼公演のみ。最近は夜公演に客が入らないらしい。
至近距離でプレトーク
プレトークセット券という1,000円増しの券を購入した。この日のプレトークは琵琶指導の友吉鶴心と演出の長塚圭史。参加者は10人くらいで、机をロの字に並べてランチボックスを前に打ち合わせ状態。至近距離でドキドキ。
プレトークは45分。熱意のこもったトークだった。琵琶の楽器を間近に見られたのも嬉しい。真剣に打ち込んでいる人の言葉に我が身を少し反省した。演出家の語りの説得力ってすごい。
民話的な力に圧倒される
本編は10分休憩を2回入れて、3時間半くらいだったか。ぎゅっと密度の濃い芝居。
常陸坊海尊という源義経の家来だったが最期の戦いの前に姿を消した人が、何百年も生き続けていて困った人を助けてくれるという東北地方の伝承を元にしている。東京オリンピックの年に発表された戯曲。
舞台では白石加代子が演じる「おばば」というイタコと中村ゆりが演じる孫娘の「雪野」の民話的な怖さが圧倒的。芝居の感想としてはそれを見るだけでも演劇体験としては充分だ。『遠野物語』の妖怪が同居する世界で、現実世界というか普通の暮らしがときに取り込まれていく。
おばばの役は白石加代子以外が演じることは想像できない。怖いけれど可愛く、あまりにもはまり役だった。中村ゆりの雪野もこの先おばばになるであろう存在感、怖さをしっかり刻み付ける。
なぜ常陸坊海尊は祈りの対象なのか
充実感はあったものの、観終えた直後、頭では咀嚼しきれていなかった。懺悔を語る人に救いを求めるのはなぜなんだろう。石を投げてスケープゴートにするという救いの求め方なら分かるけれど。
作品が、戦後19年経った日本人が「置き去りにした」と感じていた思いを、源義経を見捨てた常陸坊海尊に重ねて表現していることは明瞭に分かる。戦争で死んだ人を、戦後の混乱を、もしかすると故郷を。
プライベートな悔恨というよりも、祈る強い意志を感じた。
もしかするとこれが「罪」の意識なのだろうと思ったのはしばらく後。懐かしい言葉だった。社会共同体への責任という観点から、極貧の人など社会的不幸への自らの不作為の「罪」の意識を語る言葉は一世代前の話にはよく出てきたものだった。キリストの原罪もそうだろう。
いつの間にか社会への自分の責任は語られなくなった。社会から自分への影響には敏感だが。
罪を感じて強く祈り救いを求めるから、聖人君子ではなく、罪を抱えて昇華した海尊さまに助けを求めるのだろう。強く祈ることもしなくなった気がする。暮らしやすくなったおかげなのだろうけど。
劇中の「かいそんさまー」という叫びは、雪に降り込められ、語りの中で膨らんだ共同体の祈りのように思われた。そして、おばばたちも、負を引き寄せて培養する、共同体の幻想装置。
琵琶の音がところどころに印象的に響く。調和する和音ではなく、音の重なりが引っ掛かる。琵琶を抱えて弾くのは驚いた。重みのある舞台だった。