2020.7.7.「大地(Social Distancing Version)」13:00開演の部を観た。
新型コロナウイルス対策で厳戒態勢
PARCO劇場の改装こけら落としシリーズ。COVID-19による劇場休止の後、初の公演となった。
ウイルス対策で厳戒態勢。入場する際には、靴底消毒、体温測定、アルコールで手を消毒の順に進んでいく。
ロビーでの物販もパンフレットとペットボトルのみで、キャッシュレス推奨。
公演チラシも1種類がロビーにあったのみ。
チケットは一旦払い戻しになり、定員の半分の客数で再販売になった。
連絡先を登録し、マスク着用の上、座席での会話禁止。
チケットは買えるのが1枚だけだったので当然連れ立って来ている人もなく、終演後は「ダブルアンコールはありません」というアナウンスを待つまでもなく足早に帰るのもSocial Distancing Versionの興行スタイルだった。
そんな中で、舞台だけは変わらない世界だった。
1部・2部とも1時間15分、休憩を長く取って25分、ざっと3時間。
舞台を取り上げられた俳優の話
文化大革命を思わせる独裁政権下の俳優の収容所が舞台。そういう収容所は実際にあったそうだ。
舞台を取り上げられた俳優たちが、舞台となっている居住スペースで、それでもいろいろ芝居をする。
「三谷幸喜流俳優論」らしい。
劇中で辻萬長と浅野和之がソロで演じて見せるところが圧巻の見せ場。パントマイムすごい。
ほかの人も個人の見せ場が多い。
力を合わせて虚構の世界を生きる人々って感じだった。
芝居における観客の重要性に焦点を当てるのだけれど、スタッフは?とも思ってしまった。
役者と観客がいて芝居が成立すると言うときに、配信の観客との間でどう成立させられるのかは新しい演劇の形の肝なのだろう。
自分にとって配信と違うと思ったのは、銅鑼の音の振動。
そして席がかなり前の方だったので、大泉洋や山本耕史が近過ぎてドキドキしたこと(^^)/
ソーシャル・ディスタンスの舞台
舞台は収容所の居住スペースで、9つのマス型に仕切られている。
自由に歩き回って、ちょっと接する程度の密はあり。必ず2m離れているというわけではない。
ただ、取っ組み合いのけんかや、ハグのような直接的なコンタクトはなし。
自然といえばすごく自然。演出スタイルとしてはこのまま数年後に上演しても違和感はないだろう。
しかしものすごく"STAY HOME"を迫られた現在の舞台だった。
ラスト、舞台の居住スペースが、一瞬ステイホームの部屋に見えた。
理不尽さや暴力の質が全然違うけど。
したいことを奪われても、すべきことはいつも同じなのだ。
(追記)コロナ対応前の舞台装置
「堀尾幸男 舞台美術の記憶Ⅰ」の展示で「大地」の初期プランの舞台模型が展示されていた。セットが違うと全然別の印象になった気がする。